興味深いお話ですが……少し路線を変えて。お坊様は生活リズムが規則正しかったり、食生活が整っていたりして、肌の綺麗な方が多いようにお見受けします。そんな中、実践しておられるスキンケアや、その他気をつけておられることはありますか?
林さん私は乾燥肌なので、日常的に化粧水のあとに乳液をつけていましたが、だんだん面倒になってしまって。今、一緒になったものが出ていますよね。
池上さんオールインワンですよね?時短できる、あの便利な。
弊社の商品紹介のような流れに……。ありがとうございます!
池上さん修行中はご飯もお風呂も短いほうが良いとされているんです。そんな時間があるならお掃除しましょう、という雰囲気なので。みんな一個の石けんで全部洗いますね。
そうなんですね。是非弊社商品をお使いいただきたいところです……!
ところで、内面の美しさ=見た目の美しさとも言われるように、心が健やかであることはスキンケアにとって重要です。日々社会生活を送る中で、どうしても抱えがちなストレスや悩み。医学的にも、ストレスを抱えないことは肌の質を保つ上で大切と言われていますが、お坊様にはそういった心のトラブルは無いのでしょうか?
林さん極力そういったことのないよう意識していますが、やはりあります。今日も、庭で護摩の準備を終え、車でお寺へ戻って来るときに、参詣者が道の真中を歩いていらして「どいてくれへんかなあ、なんで気づかへんのかなあ」と。あの方はちゃんとお参りなさっているんだと思いながらも、少しイライラしちゃいました。(笑いながら)
池上さんこういったことは常日頃ありますよね。でも、それにどう対処するのかというところが重要です。「今日から死ぬまで良いことしか無い」というのはあり得ないので。嫌な出来事にぶつかったときには、避けるのではなくてどう向き合うか、ということを考えたいですね。
それにはどういった方法があるのでしょうか?心を平静に戻すプロセスはありますか。
林さんそうですねえ、経験でしょうか。日常から学ぶのです。例えば先程の話ですと、「怒りの行動」としてクラクションを鳴らしたとしますよね。その時助手席に乗っていた誰かが、そんなことしなくていいじゃない、と言ったら、「人によっては『鳴らさない』という選択もあるのだな」と気づきますよね。この場合こうした会話をすることで、「自分は鳴らしてしまったけど、鳴らさないほうが良かったのかもしれない」と考える瞬間が大事ですね。鳥の目で見るように視点を変えることで、心の波を落ち着かせることができれば、人として美しくなると思います。もしかしたらそのお参りの方は、足が痛くてゆっくり歩いていたのかもしれないとか、耳が遠いのかもしれない、とかですね。
池上さん仏教的に言うと、「日々反省」ですね。私は仏さまの前でお経をあげながら、こんなことがありましたと振り返り、反省しています。怒ったり間違ったりした瞬間と向かい合う機会が多いですね。社会人の方は忙しくて、なかなかゆっくり向かい合う機会なんて無いでしょうけれど、でも、そういう場合のためにお寺ってあるんですけれどね。手を合わせて拝むと言うのは自分と向き合うことになるので、皆さんの中でお寺がそんな場所になればいいなと思います。
私たちが心を落ち着かせる場所として、お寺は最適なんですね。
池上さん真言宗では「三業(さんごう)」と言いまして、身(しん)・口(く)・意(い)という、ふるまい・口から出る言葉・内面的な思いの3つが重要なんです。この3つを「清浄」に、つまり整えるのが大切なのです。例えば親戚に小さい子がいたとして、その子をかわいいなあといって抱きしめてあげる場合。抱きしめる・かわいいなあと言う・心からかわいいと思っている、という状態は三業の3つが揃っていて、一種の仏様に近い境地だとされています。
林さんこの3つが揃ったときに人は優しくなれるということです。
池上さんこの状態が即身成仏なんですよ。真言宗の教えの、「生きているときにその身のまま仏になる」という、最終目標の状態ですね。自分の三業を日常の中で整えるということが大切なんです。気持ちは見た目で判断できないとはいうものの、だいたいが態度に出てしまう。だからこそ、身だしなみをきちんと整えることは心を整えることにもつながっているんです。どなたでも実践できますよね。三業を整えて、是非これからにつなげていってほしいです。そうそう、「自業自得」という言葉は悪い意味で使われがちですが、逆に良い行いをすればそれが返ってくるという意味でもあるんですよ。
林さん仁和寺は敷地が広く、観光地として混み合う京都でもゆっくりと過ごせます。庭も腰をおろしてゆっくり見られますし、普段忙しく社会の喧騒で乱れた心を落ち着かせる場所として、来ていただきたい。ここで心を休めることで平静を取り戻せる、そんな場所にしていただきたいです。
池上さん仁和寺の「仁和」という漢字は元号から来ているのですが、この「仁」という漢字は慈しみや思いやりという意味で、「和」は平和や調和をあらわします。「慈しみや思いやりでみんなの調和が取れる」という状態を、仁和寺は目指しているのです。「手をつなごう 助け合い・語り合い・信じ合う 我らみな仏の子」という標語も仁和寺にはあったりするんです。心の身だしなみとして、この仁和の気持ちを大事にしています。