先生には長年お世話になって参りましたが(注:吉村は4歳より狂言を学び、茂山氏に師事している)、こうして対面してお話させて頂くのは実は初めてかもしれません。本日はどうぞよろしくお願い致します。
そうやねえ、よろしくおねがいします。
では早速ですが、まず狂言の舞台に立つうえで、特に気を遣ってらっしゃることはありますか?
人前に立つので、顔は傷付けないようにしていますね。若い頃は喧嘩なんかもしましたけれど、顔だけは守るようにしていました。例え酔いすぎて転びそうになっても顔の怪我には気を付けています。
”酔っていても”というところに意識の高さを感じます。確かに狂言では、役者の表情が重要ですよね。
私は狂言を「立落語」と表現している。落語、つまり人を笑わすもの。「室町時代の吉本新喜劇」という例えをよくするんやけれども、現代でいうコントと同じようなものやと思っています。
狂言にはもちろん歴史・伝統があるんやけど。親しみやすい要素が多分にあります。
茂山一門の狂言は「お豆腐狂言」だと言われていますが、どのような意味なのでしょうか。
京都でいう「おばんざい」、つまりおかずの例えなんやけれども。
身近で、相手を選ばずどんな色にも染まり、でも相手には取り込まれない確固たる軸をもっている。そんなお豆腐のような親しみやすい狂言というのを、僕らは目指しています。
狂言は古典やさかいある程度のフォームはあるけれども、それも時代とともにせめぎ合って、徐々に変化していってるんですよ。
変えていく部分と、変えずに伝えていく部分があるのですね。
狂言は遡れば、室町時代からの歴史があると言われてるんやけれども。そこからこれだけ月日が流れると、人も当然変化します。ファッションで言えば、ちょんまげに着物の格好から洋服へと時代が変わってますやろう。「はな」という言葉も、今は「はな」言うたら桜を指すことが一般的やけれども、昔は梅の花をそう呼んだものです。
特に京都は、京都人が支配したことがない町。施政者が時代とともに変遷してきたわけで、その人たちの言うことをある程度聞きながら、こちらも聞かさせてバランスを取ってこなあきませんでした。
変わりゆく世の中で、前から続いてきたものをどのように現代につないでいくか。
時代が変わっても、与えられる側、つまり見てくれるお客さんがわかるように、与える自分も変わらなければいけない。そやけれども、古典としてのある程度のラインは保っていなければならない。そこは難しいところではあるわなぁ。
京町屋の、間口は狭いけど入ってみると広い構造とか、京都人の親しくなるまで手の内を明かさへん気質なんかも、目まぐるしく変わる時代に対応していくための知恵なんやろうね。
なるほど。確かに、京都にはそういう独特なところがありますよね。時代や人は変われども、変わらぬ京都らしさがあるように思います。先生は “京都らしさ” をどのようにお考えですか。
日本の自然はそんなに厳しくなくて、穏やかでしょう。穏やかやから文化が発達したんです。
もし自然のあり方がもっと厳しければ、また違ったんちゃうかなと思います。例えばヨーロッパなんかは、冬が寒くて厳しい環境やからこそ、技術が発達して文明が発達したわけや。
しかし日本は、なかでも京都は四季がはっきりしているよね。
やからこそ「桜は散り際が美しい」という価値観やったり、郷愁なんかの感覚を得られるんやと思います。
とは言え、この価値観も未来には変わっているかもしれへんね。
変わると言えば、商売の在り方なんかも変わってきたね。
「みやこ」というのは消費地。人やモノが大量に集まってくる中で、「見る目」が昔の商売人には必要やったんです。そやから京都には、商売人が目利きをして、いいものを地方から仕入れて販売する専門店がたくさんあったんやけれども。
言われてみれば京都には、今でも和紙屋さんが沢山ありますが、どこか違う場所から仕入れてきている。京都で生産しているわけではないですね。
現代では流通が変化して、良いものも手に入りにくいものも、大体のモノがどこでも買えるようになりましたなぁ。これも文明が発達したからやね。
京都であろうが東京であろうが、大体のモノは手に入るもんなぁ。
これも文明が発達したからやね。
東京が文明の街であるならば、京都は文化の町である。
文明では東京に勝てっこないんやから、京都が目指すべきは文化を育むことやろうと思います。おそらくこれから先は、今までと同じように京都もあぐらをかいてはいられへんのとちゃうやろうか。
もっと京都を世界に押し出していきたいよね。しかし京都の男はモテるイメージがないなあ。