Collaboration– 02 –
メイン写真 御殿北庭
「心からの身だしなみ」
仁和寺 × THREE-M
開催概要

2017年初春、京の都に佇む真言宗御室派総本山・仁和寺にて、「身だしなみ」に関するトークセッションを開催。

歴史上初となる、寺院とメンズコスメブランドの対談である。仏門に入り、日夜修行を重ねておられる僧侶の方々に、身だしなみの大切さやその心構えについて尋ねた。
趣旨
「温故知新」を企業理念に掲げてきた THREE-M 社。ここ京都では、古き良きものと最先端の価値観が共存している。古き良きものを受け継ぎ、新たな価値観を創造する。これは、男性の美容に通じるところがあると THREE-M 社は考えている。古くは京に都があった平安時代から、男性が化粧をし、身だしなみを整える文化が存在していた。時代を超えて常に大切にされてきた紳士のイメージを踏まえ、現代の男性ならではの美意識を育むことが我々の目標だ。その第一歩として、遥かに長い歴史を有する仏教の世界から「身だしなみ」を考察する。
ゲストスピーカー
  • 林 就吾
    林 就吾高野山で修行ののち、仁和寺に赴任。広島の生家がお寺(学恩寺)であり、自然な成り行きで僧侶に。
  • 池上 淳信
    池上 淳信龍谷大学仏教学科を卒業後、仁和寺の密教学院へ。1年間仁和寺で修行したのち、平成22年4月から僧侶に。生家は岡山県倉敷市のお寺(医王寺)。
ファシリテーター
村山
村山 俊輔株式会社THREE-M 代表取締役/CEO 同志社大学法学部を卒業後、起業。新しいメンズコスメティックカルチャーを牽引するブランドを作るべく、男性の「Manners = 身だしなみ」にこだわったスキンケアグッズをプロデュース。桐炭を配合したユニークなアイテム「QuickOrganizer(クイックオルガナイザー)」は高級旅館などでアメニティとして採用されている。
01.僧が考える身だしなみとは
メンズスキンケア会社からのインタビューを開始します。いつもとは違った角度からの質問になるのではないかと思います。よろしくお願いいたします。
林さん池上さんよろしくお願いいたします。
まずは、お坊様が考える「身だしなみ」についてお伺いします。お勤めの時間や境内を歩くとき、またお寺を出るときなど、それぞれの環境や状況に決まった身だしなみがあると思います。気をつけているポイントを教えてください。
林さんと池上さん
林さん基本的には私たちは、白衣(はくえ)というものを着ています。これは汚れやすいし汚すと目立つので、日頃から注意しています。何か物を取るときでも、袂をたぐわせたりして汚れないよう、気をつけているのです。今着ている服は改良服と言って、お盆参りなど寺の外に出るときに動きやすくしたものです。
池上さん掃除などの雑用ごとをするときは、作務衣(さむえ)に着替えます。改良服は、スーツより少しカジュアルな平常時用の衣といったところです。法要のときなどは褊衫(へんざん)。落慶法要など大々的なときはもっときらびやかな衣装もあります。一般の方が結婚式でタキシードを着るように僧侶もTPOがあり、その時々に合わせて着分けているのです。
一般的に身だしなみを整えるというのは、自分が出会う人々から「よく見られたい」という願望が大きく反映されていると思います。お坊様の身だしなみもまた、信仰の対象、つまり仏様から「よく見られる」ということに重きを置いたものなのでしょうか?
林さん基本的に朝のお勤めなどはろうそく明かりでとても暗いのですが、やはり仏様に見られているということは一番に意識します。衣帯(えたい)が正しい着方になっているか、前合わせが綺麗に合わさっているかなど、忙しい時でもしっかり心を落ち着かせて確かめるようにしています。
身だしなみを整える際、人からどう見られているかが不安なあまりに、平常心を維持できず自己否定に陥ってしまうケースもあります。身だしなみと心のバランスをどのように調整するべきでしょうか?
林さん私は、他人に見られる「私の見た目」は気にしないようにしています。ファッションに関しては、服は自分から着たいと思うものだったり、世の流行りものだったりとあるのでしょうけれど、私は流行に乗らない方で。私服を買いに服屋さんに行っても、これだ!とピンときたものだけを買うようにしています。誰にどう見られるかよりも、「自分がこれを着たい」と思う、そのインスピレーションを大事にしているのです。人は人、自分は自分と分けている方だと思います。
池上さん私は人から見られているという意識はしています。特に境内を歩くときは、参拝者に「仁和寺のお坊さん」だと思われるわけですから、ある程度の意識は大事ですよね。お寺にいる以上必要なものだと思います。気持ちの切り替えが大切ですね。オンとオフという言葉があるように、この服を着たらこういう気持ちに、というものがあります。
次にお伺いしたいのは、見た目と向き合うことについて。私は鏡で自分の外面を見ることは、自分の「心」と向き合うことでもあると考えています。流行りに遅れていないか、個性は出せているかなど、様々な悩みを抱く中、今一度自分と向き合うことで、人は身だしなみとは何のためのものなのかということを再認識できるはずです。この「自分と向き合う」という観点から、身だしなみに心から自信を持つためのアドバイスをお願いします。
花
池上さん自信のつけ方とは違うかもしれませんが……。私は仏様の前にいるときに、自分と向き合っています。外面的にもですけれど、精神的に自分と向き合って自分を知ることが大切、という考えがあるのです。良いところも良くないところも省みて、改善点を考えたりすることで、自信を深めることにつながるのではないでしょうか。良いところは伸ばし、悪いところは反省することが大切です。
林さん「如実知自身(にょじつちじしん)」という言葉があるんですよ。いくら着飾ってもそれは作った自分ですし、自分の知らない面を他人から気付かされることも多々あります。人のことを言う前に、自分のことをまずよく知りなさい、という教えです。自分を理解しないことには人も救うなどできません。自分をしっかり認知することこそが、他者を救う手助けの一歩になるのです。
なるほど。自分を知ればその分、他人と接する際も自信を持てるわけですね。ところで仏様と向き合うときに、対話のようなことはなさるのでしょうか?ご自分の良いところ悪いところを伝えたりだとか。
林さんありますよ!今日はお経の間違えが多くてすみません、次は気をつけますとか。
池上さんお経の中にあるのですよ、「色々間違いもありましたが許してください」という懺悔の言葉が。
02.仏教界の美の文化
ありがとうございます。お経の中にそんな言葉があるんですね……。知りませんでした。
ではいよいよ、「美」についてお伺いして行こうと思います。まず美という言葉は、仏教ではどのように使われているのでしょう?
林さん美意識、という価値観があります。仏教では「清浄(しょうじょう)」という言葉をよくつかいますね。内面的なところも外面も全て含めて一切の濁りがないもののこと、つまり迷いのない状態、その心が仏教で言うところの美に一番近いと思います。池上さんは他になにかありますか?
池上さんなかなか漠然としていて難しいですよね。これは私の意見ですが、仏教における美というのは、心の平静、つまり心が休まることではないかなと思うんです。お庭を見て「わあ、綺麗やなあ」と心静かに思うときや、お部屋を綺麗に掃除したとき。落ち着きますよね。心に波風が立っていない時に美を感じます。
「伽藍説法(がらんせっぽう)」という言葉がありましてね。お寺に来て「あ、いいな」「気持ちがすっきりするな」とただ思ってもらうだけでも、仏様の教えは伝わっているということなんです。「仁和寺って良いところだな」と思ったらそれは、仏教の世界に触れている事になります。
来ていただいた方に平穏な気持ちになってもらうことが、口で説明するより伝わるのではないでしょうか。
逆に、心を乱すものとして仏教には「苦」という言葉があります。「四苦八苦」の苦ですね。心の乱れや平静という観点からすると、美と苦は対義語のようなものです。仏教は心の様子を大事にするので、心に乱れがない状態に美しさを感じますね。
建物やお庭・宝物(ほうもつ)なども仏教的な美しさの由来があるのでしょうか?例えば襖絵なども素晴らしいですし、池の石の配置にしても、仏教的美意識がありそうです。
御殿回廊
林さんそうですね。この庭には池・築山・茶室などがございます。ザ・日本庭園というべき景色だと思います。多くの方はこの庭をご覧になって、声を出して感嘆なさいます。その要因のひとつとして、とある庭の専門家が言っていましたが、私たちは目線の上下15度ずつ、合わせて30度の範囲に広がる景色を綺麗だなと感じるそうなんです。仁和寺の北庭もまさにそういう作りになっています。
また現代で仏様にお花を供えるのと同様に、昔は床の間にお花を活けることで、季節の移ろいを感じ、空間を整理し、花の香りで人を落ち着かせるという、ひとつの心配りをしていました。また、お堂などの建造物は「あのお寺があんなに良いものを作ったのなら、うちはもっと良いものを作ってやろう」といった競争心があったみたいですね!
え?美の競争のようなものがあったのですか?
林さんはい、そういう言い方をしてもいいと思います。それによって、どんどん時代が進むに連れてクオリティの高いものになっていったのです。あとは「宇多法皇(うだほうおう)様にもっと良いところに住んでもらおう」という思いもあったでしょうね。
03.僧侶のスキンケア事情
興味深いお話ですが……少し路線を変えて。お坊様は生活リズムが規則正しかったり、食生活が整っていたりして、肌の綺麗な方が多いようにお見受けします。そんな中、実践しておられるスキンケアや、その他気をつけておられることはありますか?
林さん私は乾燥肌なので、日常的に化粧水のあとに乳液をつけていましたが、だんだん面倒になってしまって。今、一緒になったものが出ていますよね。
池上さんオールインワンですよね?時短できる、あの便利な。
弊社の商品紹介のような流れに……。ありがとうございます!
池上さん修行中はご飯もお風呂も短いほうが良いとされているんです。そんな時間があるならお掃除しましょう、という雰囲気なので。みんな一個の石けんで全部洗いますね。
そうなんですね。是非弊社商品をお使いいただきたいところです……
ところで、内面の美しさ=見た目の美しさとも言われるように、心が健やかであることはスキンケアにとって重要です。日々社会生活を送る中で、どうしても抱えがちなストレスや悩み。医学的にも、ストレスを抱えないことは肌の質を保つ上で大切と言われていますが、お坊様にはそういった心のトラブルは無いのでしょうか?
仁和寺からの景色
林さん極力そういったことのないよう意識していますが、やはりあります。今日も、庭で護摩の準備を終え、車でお寺へ戻って来るときに、参詣者が道の真中を歩いていらして「どいてくれへんかなあ、なんで気づかへんのかなあ」と。あの方はちゃんとお参りなさっているんだと思いながらも、少しイライラしちゃいました。(笑いながら)
池上さんこういったことは常日頃ありますよね。でも、それにどう対処するのかというところが重要です。「今日から死ぬまで良いことしか無い」というのはあり得ないので。嫌な出来事にぶつかったときには、避けるのではなくてどう向き合うか、ということを考えたいですね。
それにはどういった方法があるのでしょうか?心を平静に戻すプロセスはありますか。
林さんそうですねえ、経験でしょうか。日常から学ぶのです。例えば先程の話ですと、「怒りの行動」としてクラクションを鳴らしたとしますよね。その時助手席に乗っていた誰かが、そんなことしなくていいじゃない、と言ったら、「人によっては『鳴らさない』という選択もあるのだな」と気づきますよね。この場合こうした会話をすることで、「自分は鳴らしてしまったけど、鳴らさないほうが良かったのかもしれない」と考える瞬間が大事ですね。鳥の目で見るように視点を変えることで、心の波を落ち着かせることができれば、人として美しくなると思います。もしかしたらそのお参りの方は、足が痛くてゆっくり歩いていたのかもしれないとか、耳が遠いのかもしれない、とかですね。
池上さん仏教的に言うと、「日々反省」ですね。私は仏さまの前でお経をあげながら、こんなことがありましたと振り返り、反省しています。怒ったり間違ったりした瞬間と向かい合う機会が多いですね。社会人の方は忙しくて、なかなかゆっくり向かい合う機会なんて無いでしょうけれど、でも、そういう場合のためにお寺ってあるんですけれどね。手を合わせて拝むと言うのは自分と向き合うことになるので、皆さんの中でお寺がそんな場所になればいいなと思います。
私たちが心を落ち着かせる場所として、お寺は最適なんですね。
池上さん真言宗では「三業(さんごう)」と言いまして、身(しん)・口(く)・意(い)という、ふるまい・口から出る言葉・内面的な思いの3つが重要なんです。この3つを「清浄」に、つまり整えるのが大切なのです。例えば親戚に小さい子がいたとして、その子をかわいいなあといって抱きしめてあげる場合。抱きしめる・かわいいなあと言う・心からかわいいと思っている、という状態は三業の3つが揃っていて、一種の仏様に近い境地だとされています。
林さんと池上さん
林さんこの3つが揃ったときに人は優しくなれるということです。
池上さんこの状態が即身成仏なんですよ。真言宗の教えの、「生きているときにその身のまま仏になる」という、最終目標の状態ですね。自分の三業を日常の中で整えるということが大切なんです。気持ちは見た目で判断できないとはいうものの、だいたいが態度に出てしまう。だからこそ、身だしなみをきちんと整えることは心を整えることにもつながっているんです。どなたでも実践できますよね。三業を整えて、是非これからにつなげていってほしいです。そうそう、「自業自得」という言葉は悪い意味で使われがちですが、逆に良い行いをすればそれが返ってくるという意味でもあるんですよ。
林さん仁和寺は敷地が広く、観光地として混み合う京都でもゆっくりと過ごせます。庭も腰をおろしてゆっくり見られますし、普段忙しく社会の喧騒で乱れた心を落ち着かせる場所として、来ていただきたい。ここで心を休めることで平静を取り戻せる、そんな場所にしていただきたいです。
池上さん仁和寺の「仁和」という漢字は元号から来ているのですが、この「仁」という漢字は慈しみや思いやりという意味で、「和」は平和や調和をあらわします。「慈しみや思いやりでみんなの調和が取れる」という状態を、仁和寺は目指しているのです。「手をつなごう 助け合い・語り合い・信じ合う 我らみな仏の子」という標語も仁和寺にはあったりするんです。心の身だしなみとして、この仁和の気持ちを大事にしています。
04.理想の男性像とは
ありがとうございます。最後に、お坊様の憧れる理想の男性像を教えてください。
林さん自然体でお経を唱えたり合掌したりした時に、「ありがたい」「綺麗だな」と思われるお坊さん、が理想でしょうか。修行僧の頃、神戸で道を聞かれたことがあったのですが、ちょうど目的地が同じ方向だったので一緒に行きましょうということになりました。その方を案内し終えお別れする際に、周りに人がいる中で、深々と電車の中で一礼されたんです。その時、された側としても心が動かされるような、「ありがたい」という思いになりました。そういった真心から出る行動を、常日頃からできるようになるのが理想ですね。
池上さんそうですね。心から出たものなのかポーズでやっているのかは、見れば分かってしまいますからね。やはり真心からそういうことができる人を、格好いいなと思いますし憧れます。
集合写真
今、その理想に向けて修行をなさっているのですね。
林さんはい。何事も体験するということが一番の方法ですね。
林さん、池上さん、どうもありがとうございました。
05.「写経」体験を通して学んだこと
写経とは、かつて印刷技術が発展していなかった時代に、仏法を広めるために行われていた修行兼事業であった。その後、次第に「写経すること自体に功徳がある」と解釈されてきたものである。
仁和寺では、月に一度写経会を開催している。
「お経は、文字を見るだけでも御利益があり、読誦すればより大きな御利益が、さらには、一文字一文字心から写経することにより一層の功徳があるとされてきました。
忙しい現代において、ともすれば心のゆとりを失いがちな私たちでありますが、自らの所願成就や報恩感謝の実践として写経をお納めいただければと存じます。」(仁和寺公式サイトより)
写経写真
現代における写経は、綺麗に字を書くため、集中力を付けるため、または心を落ち着かせるために実践されているケースがほとんどだと思います。実際に体験して、確かに集中力や心の平静さが必要だと感じました。気が急いていると筆の運びが粗雑になり、文字を綺麗に書くことができません。
写経は、最終的に字の綺麗さ(的確になぞることができているか)が「見た目」として残ります。心に落ち着きがなく、丁寧さを欠いていれば、ぼろが出るというわけです。
私は、身だしなみを整える際にも、写経に向き合うこの姿勢が大切だと思いました。スーツの着こなしなどはもちろん、日々のスキンケアも丁寧さと集中力が必須です。身のこなしや所作も同様に、落ち着きがあるからこそ気品を感じることができます。
一見するとただ文字をなぞるだけの写経も、自分と向き合うことで様々なことが見えてきます。人生初の写経体験でしたが、身だしなみに通ずる大切な基本を学ぶことができました。これは、きっと皆様の職業、ライフスタイルにも活かすことができるはずです。

お寺の写経会、ぜひ一度体験してみて下さい。
( 文 : 西山 けい )
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